横綱日馬富士その人、その家族と故郷
(スフバートル像)
横綱日馬富士がついに引退を決意しましたね。
暴力沙汰を起こしてしまって、やむを得ない結果といえばたしかにそうですが、その人となりから見て、非常に残念な気がいたします。
日馬富士は、一言で言って努力の人であったと思います。
あの土俵上でのすり足、本番になってもさらに足腰を鍛えている姿は、真面目さと、清廉さを私達に与えてきたと思います。
NHKテレビで、洋画に取り組んでいる日馬富士の姿を見ましたが、素晴らしい絵をかかれています。
一芸に秀でた人は、すべての芸に通じるといいますが、日馬富士は「人間として大きくなりたい」と法政大学大学院を受験し合格しています。
また、モンゴルの心臓病の子供たちに医療支援を送ったり、医療の遅れている故郷の国の子供達のために、その費用を押します送ったりしていました。
障害者に対する慈善事業にも積極的でした。
これらは、交通事故で急逝した父親から、「人のために尽くす人間となれ」と常に諭されて育ったことが、彼を作ってきたのだと思います。
日馬富士は、故郷に住む父親など家族を失って孤独な日本生活を過ごす中、岩手大に留学中だったムンフジャラガル・バトトールさんと結婚し、充実した家庭を営んできたのも事実でした。
そんな日馬富士が、今回、同じモングル人の後輩である貴ノ岩を諭すためとは言え、殴ってしまった暴力事件は、悔いても悔いてもくやみきれない忸怩たる思いをしたことと思います。
非常に残念ですが、横綱としてのけじめをきちんと付けなければならなかったのだと思います。
この事件を通じて、根底には相撲界の隠蔽体質と封建的な仕組み、それを改革しようとする貴乃花親方と相撲協会理事会との軋轢のようなものが取り沙汰されましたが、この事件を通じて、暴力的指導法がつきものの相撲界、スポーツ界の間違った伝統を、しっかりと改革していってもらいたいものです。
生まれ故郷ウランバートル
引退後は、日馬富士は故郷に帰るのでしょうか。
日馬富士の生まれ故郷といえば、それはモンゴル国ウランバートル、モンゴルの首都で人口は130万人余り。
標高1300メートルの高地にあり、気候は夏は39度冬はマイナス46度の厳寒となる街です。
古くは、モングル帝国を築いたジンギス・カン皇帝が支配した国、中国からロシアそしてユーラシア大陸を結ぶシルクロードの要の町として栄えた町でもあるウランバートルに、一度は訪ねてみたい気もいたします。
(ウランバートル相撲会館)
(チベット仏教ガンダン寺)