石狩霊園にお墓参り
この日2017年9月21日、石狩霊園に先祖のお墓参りに行ってきました。
お彼岸、春と秋と何方も彼岸というのですが、今年は春の彼岸3月20日だったか//
お墓にお参りはしなかった。
なにしろ、この石狩霊園、3月20日ころは、まだまだ雪が深く、若い頃にはスコップをもち長靴を履いて出かけたものですが、この年になると、とても億劫になった。
そこで、近年は秋の彼岸だけになってしまった。先祖には申し訳ないような気がするが、許してもらう他はない。
秋分の日は9月23日土曜日なのだが、ちょうどたに所要があって、やむなく21日にした。
この彼岸という日
お参りする日と言うのはわかっているのだが、そういう習わしなのだという程度で、なんとなく毎年来ているようなきがする。
ちょっと調べてみると、仏教の世界というか、お釈迦様の世界というか、この世というものとあの世というものがあるらしい。
「この世」と言うのは、今ある現実の世界であって、そこには幾多の人間の欲や煩悩が渦巻いている。
ところが、人間が仏教に帰依して「悟り」を開くと、「悟りの境地」という意味の「あの世」と言うものに行けるらしい。
どうやら、それは太陽が沈む西の果てらしいということだ。
日本から見れば、お釈迦様の生まれたインドは、ずっと西の方にある。
「ガンダーラ」という歌にもあるが、人間は皆その境地を目指して長い旅をする。
この世に生きて境地を切り開けないときは、死んでからもその地「彼岸」を目指すのだと言われる。
そんなことは、お墓の前で手を合わさえていても、思ったり念じたりしたことはない。
でも、手を合わせれば、すなわち、先祖を供養し彼岸への一歩を進んだことになるそうだ。
大変ありがたいことだ。
ちょうどこの日は、少し曇り空だったけれども、普段風の強い丘も静かだった。
親戚のお墓も同じ霊園にあり、そちら絵も花を供えお参りをしてきた。
ナナカマドの実が、もう色づいていた。